ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
ゴルフボールなど触ったこともない人だった。西宮CCの歴史と幸運は、辰馬市長との邂逅(かいこう)に始まる。
昭和27〜29年頃、西宮市西北、甲山の山麓はしばしば伊丹の警察予備隊(現・自衛隊)の演習に使われていて、遂には演習場として恒久化使用という動きが出ていた。
慌てた辰馬市長は「そこにはゴルフ場企画がある」と反対を声明。観光文化都市構想の一環「甲山ゴルフクラブ」を立案、昭和29年11月30日、僅か2週間で「社団法人西宮カントリー倶楽部」の認可を獲得した。
「やさしいコース、ファミリーなハウス、婦人プレー制限なし」ユニークな名門宣言
ハイカラな街、西宮は、昭和20年8月5日の大空襲で市街の60%が焼失した。その復興が辰馬市長の政治目標であり、西宮CCはそのひとつだった。
公益法人だから資金は入会金だけ。市長陣頭、大阪弁で「入りなはれ」「入りなはれ」と勧誘して回ったと50年史では書いている。
力強いパートナーとなったのが阪急電鉄の和田薫社長(初代理事長)。財界での人脈、人気が効いて法人会員130社、39名を集めた。
初代理事長の主張は、「やさしいコース、ファミリーなクラブハウス、婦人のプレーを制限しない」とユニークな名門宣言だった。昭和29年10月起工式。設計は井上誠一。
複雑な地形、急傾斜。井上誠一は「之は大変な仕事になる」
現地を見た井上は「之は大変な仕事だ…」と半ば呆然。地形が複雑、急傾斜地が多い、自動車道路と仁川渓谷で利用面積が狭い、土質が花崗岩地帯である、難点が続出した。
その反面、井上は交通上の利点を高く評価した。「スケール感はともかく利用価値の高いコース」を造ったと語った。
「普通だったら5000ヤードの利用面積に、ぎりぎり6646ヤードのコースをレイアウトした」(井上)という18ホールが完成した。本開場は、昭和31年4月。
それから50 年。平成6年に半年間、コースを全面クローズ、開場50周年事業のベント1グリーン化(L93芝)改造を終った。改造は大橋一元。
最近はエンラージ(引き伸ばしたような)した1グリーン化改修が多いが、西宮はグリーン面積平均480平米と小さめにしたのが特徴である。
西宮カントリー倶楽部
兵庫県西宮市仁川町6-19-7
☎0797‐71‐1212
開場日:昭和30年11月27日
コース:18H/6704H/P72
設計:井上誠一
改修:大橋一元
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美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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