ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
敗戦直後、駅舎は爆撃でやられてバラック同然、駅広場には浮浪児と夜の女と闇市露店が群がって、
風紀はドン底。
地権者だった国鉄が、そこに百貨店などテナントを入れた民衆駅を造れば、駅周辺の風紀が治り、都市活性化にもなる、と提案したのは日本停車場㈱社長・矢下治蔵だった。
そして生まれたのが現在のJR池袋駅。民衆駅の第一号だった。
矢下治蔵は明治37年長野県生まれ。昭和2年鉄道教習所を卒業して鉄道マンとなる。
昭和10年に神邦鉱業、15年に雨龍鉱業開発の社長として実業界入りした。敗戦時の混乱の中で、軍需産業の両社を手際よく収拾した手腕が、池袋民衆駅の許可の理由になったようだ、と現小室理事長は語る。
厚木市郊外の荻野丘陵40万坪をコース用地に
昭和30年、池袋民衆駅による地域活性化の成功を目のあたりにした神奈川県厚木市長から「厚木市活性化のため大企業を誘致したい。そのためにゴルフ場を造りたい」という提案がなされた。
趣旨に賛同した矢下は、昭和33年9月に厚木国際ゴルフ場㈱を設立。社長は矢下治蔵。厚木市郊外荻野丘陵40万坪のコース用地を買収。
県当局の許可の際「土、日、祭日にもメンバー以外のゲストもプレーできるコースを」という要請があり、矢下社長も賛成、少数会員制の開かれたメンバーシップをめざした。
昭和34年11月、最初の18ホール・6465㍎・パー72のコースが完成する。設計は、昭和32年のカナダカップ(現ワールドカップ)日本優勝の際にテレビ解説をしていた人気作家・水谷準に依頼。
詳細設計と現場監督は霞ヶ関CC、我孫子GC、相模CCのメンバーとしてゴルフ理解の深い矢下自身が務めた。
水谷は、農地は一切使わず「手頃な峰歩きが楽しめる台地を使いながら、適度な起伏と斜面の大きなローリングがあり、野心的なプレーが楽しめる」と語った。
昭和36年、現在の東アウト9ホールを増設、39年11月には現在の西アウト9ホールを完成させた。開場5周年にして36ホールが揃った。
厚木国際カントリー倶楽部
神奈川県厚木市下荻野1920 ☎046-241-1311
開場日:昭和34年11月8日
コース:18H/6150Y/P71(東)
18H/6857Y/P72(西)
設計:矢下治蔵
公式ホームページ
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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