ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
横浜バイパスにより土地代が高騰
その日、相山は芝の生産地、保土ヶ谷区今井のとある丘にいた。芝の生産組合長・清水九兵衛が「保土ヶ谷にゴルフ場向きの土地がある。農地には向かないが芝の育成にはピタリ、ゴルフ場向き」と話を持ち込んできた。相山の気持ちも動いた。
我孫子GCの会員でシングルハンディ、六郷GC社長を経験するうちに、コースレイアウトにも興味が湧いていた。「やってみるか」
昭和33年11月株式会社横浜国際ゴルフ倶楽部設立、社長・相山武夫。
今井は、戦国時代小田原北条氏の拠点今井城の在った所だ。昭和33年12月土地の買収を開始。途中で隣接する戸塚CC、相模鉄道と買収合戦もあったが、難問は、昭和34年すぐ横を横浜バイパスが開通、土地代が坪800円から3000円に急騰したこと。
東西のハウス1キロ、バスで連絡していた
昭和34年6月工事開始、昭和35年に東コースの9ホールが完成。基本設計は相山、詳細設計は、戦前
の鷹之台CCを設計した清木一男が担当。
清木は六郷GCも設計している。翌36年東コース18ホール・6273㍎・パー70がオープン。
昭和38年春に西コースの9ホールオープン。39年には残り9ホールも加わって、西コース18ホール・6400㍎・パー72が本開場、設計は相山武夫。
36ホールが揃ったものの、東西のハウスの約1キロをバスで連絡していた。
「東、西コースが同じスタートでないと36ホールとはいえない」と忠告したのは人気絶頂の中村寅吉プロだった。東西コースの4つのスタートを同一場所に集めた昭和45年のレイアウト変更工事は大事業だった。
ティとグリーンの入れ換え、2ホールを潰して1ホールに、コースの下にトンネルまで掘った。そして45年9月皇居新宮殿を設計した谷口吉郎博士による平安朝風の新クラブハウスが造られた。
横浜カントリークラブ
神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町1025 ☎045-351-1001
開場日:昭和35年8月10日
コース:18H/6785Y/P72(西)
18H/6374Y/P72(東)
設計:相山武夫、竹村秀夫、佐藤謙太郎(東 改修)、クーア&クレンショー(西 改修)
公式ホームページ
その後、21世紀に入り、東コースは2009年から2011年に改修(佐藤謙太郎担当)、西コースは2014年から2016年にかけて大幅改修(ビル・クーアとマスターズ2勝のベン・クレンショー担当)。改造後の西コースでは2018年に日本オープンが行われた。優勝は稲森佑貴。
西コースの改修記事はこちら↓
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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