ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
日銀副総裁、井上の呼び掛けで大神一(山一證券)、倉田主税(日立)、桜田武(日清紡)、佐藤喜一郎(三井銀行)、永野重雄(富士製鉄)、今里広記(日本精工)ら経済界の重鎮、10名が特別後援会員となる。
昭和30年、時は第一次ゴルフブーム。財界10人衆の信用力もあって15万円、20万円、30万円と快調に7名、1億4050万円を集めた。第3次募集のパンフレットには、設計に「日本ゴルフ界の長老・藤田欽哉先生」、最高顧問に「内閣総理大臣・岸信介」とあった。
設計は初め井上誠一と発表したが多忙を理由に断られ、藤田がクラブ代表兼務で承諾している。昭和
32年、用地13万坪を買収した段階で工事が止まった。経営は塩見の独断専行、とかく噂が広まる。
個人経営から株主会員制に転換
心配した会員代表と財界10人衆が追求した結果、塩見は計画から手を引き、買収済みの13万坪、現金などの財産と権利、義務を会員側が設立した㈱八王子ゴルフ倶楽部に引き継ぐことで妥結。
ところが肝心の13万坪は塩見個人の名義で登記されていて、引き渡しを拒否。仮処分申請、告訴騒ぎとなり、昭和33年10月ようやく解決、波瀾の先史は終わる。ここから正史が始まる。昭和33年11月29日、財界10人衆の依頼で、日興證券・遠山元一社長が新社長に選任された。
昭和35年9月小林英年設計の18ホールが完成、開場する。その後、昭和46年2月の勇退まで13年間、遠山社長・理事長、船橋芳三代表取締役、専務取締役・岡枝健次支配人の日興トリオによって八王子CCは塩見個人経営から株主会員制ゴルフ場に転換したうえで運営していった。
開場40周年と前後して八王子CCは新しい表情に代わり始める。平成13年1月、新クラブハウスを落成、平成13年9月元設計小林英年の甥、小林光昭によって高麗グリーンからベント化改修工事が終わった。
八王子カントリークラブ
東京都八王子市川口町2352 ☎042‐654‐4110
開場日:昭和35年9月23日
コース:18H/6478Y/P72
設計:小林英年、小林光昭(改修)
公式ホームページ
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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