待望の日本オープンを尾崎将司が獲った。ジャンボはこのタイトルを、今年最大の目標にしていた。ライバルの青木功ももちろんこの試合にかけていた。その青木が3日目で完全に脱落して、尾崎は楽になった。狙ったタイトルを獲った尾崎はこれで日本のグランドスラムを達成し、来年の全英オープン出場権を得るとともに、マスターズの招待券もほぼ掌中におさめた。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

尾崎「黄金の2メートル」と村上「痛恨の1メートル」が勝負を分けた

画像: 最終組でプレーするジャンボ尾崎と村上隆

最終組でプレーするジャンボ尾崎と村上隆

全長7136ヤード。雄大なセントラルゴルフクラブ(東コース)の1番はパー5で始まる。528ヤード。ジャンボ尾崎は、その名に恥じぬ見事な長打で、このホールを2オン。しかも3メートルちょっとのイーグルチャンスである。

尾崎の対抗馬、村上隆は60ヤードの第3打を1メートルにつけた。尾崎が外し、村上が入れてともにバーディ。両者のスコアボードの数字が13から14へと入れ替わった。

「明日は村上さんとの一騎打ちだね。マッチプレーのような感じになるんじゃないかな」

3日目終了後の尾崎の言葉である。この2人の次は5ストローク差と離れている。どちらかが優勝は、ほぼ間違いない。しかし正直いってこの勝負、村上に分が悪い。なにしろ尾崎は5つあるロングホールの、そのすべてを2つで乗せてしまうのである。

もし村上に勝機があるとするなら、アプローチをピタリと決め、パットをねじ込み、粘っこく、執拗に尾崎に喰い下がった時である。

尾崎がその粘っこさに根負けしたときに、村上にもチャンスがまわってくる。

そして事実、3日目の村上はその戦法で尾崎と五分に渡りあった。最終日の1番も、彼の持ち味をいかした攻撃でバーディを奪った。

人は誰でも、今日は昨日の続きだと思っている。村上にとっても今日、即ち最終日は、昨日(3日目)のように素晴らしいゴルフをするはずであった。

しかし悲しいかな、わずか18時間の時の経過は、村上からパットの勘と、そして運までも、すでに奪っていたのである。

2番は215ヤードのパー3。両者ともにグリーンを外した。尾崎は手前、村上はグリーン右である。尾崎は2メートルを入れたが、村上は1メートルをチョロッと外した。

昭和49年度日本オープンの勝敗は、まさに、この2番ホールが分岐点であった。以後、尾崎は快調にバーディを重ねていくが、村上のパットはまったく沈黙してしまうのである。前半の9ホールを終って尾崎の18アンダーに対し、村上は14アンダー。これで「勝負あった」である。尾崎にとっては黄金の2メートルであり、村上にとっては痛恨の1メートルのパットミスであった。

しかし日本オープンが並みの競技とひと味違うところは、ここで終わらず、番外劇がつくことである。

画像: ジャンボの豪打なら、5つあるパー5のすべてで2オンが可能だった

ジャンボの豪打なら、5つあるパー5のすべてで2オンが可能だった

後半の9ホールも、尾崎が大活躍する。フロントナインとうって変わった乱れようでギャラリーを楽しませたのである。ます10番。50センチのセカンドパットを外して3パットのボギー。これがケチのつき始めで、続いて11番でもピンそば50センチにつけたバーディパットがカップをくるりと一回転して、ただのパー。13番538ヤードのロングも、せっかく2オンさせながら3パット。

そして15番は「何回やってもこのコースでやる限り尾崎さんのもの」(謝敏男プロ談)といわれるセントラルで、ただひとつ左右に危険が迫っているホール。右にOB、左にウォーターハザードが控えている。

尾崎の第1打は激しくスライスしてOBに消えた。打ち直しの第3打は今度左のウォーターハザードに落ちた。

同じように村上も左の崖下に落としたが、これはグリップひとつ分内側に止まり辛うじてセーフ。尾崎はここで、実に「7」を叩いた。トリプルボギーである。16番もボギー。

一時は18アンダーまでいった尾崎のスコアは、止まることを知らぬようにどんどん下がり、16番を終わってついに13アンダーの数字に変わっていた。なんのことはない、スタート時と同じスコアである。対する村上は12アンダー。

残る2ホールで1打差。尾崎の顔が蒼白になり、ジャンボファンは、まさかの御大の突然のご乱調に、色を失ってしまった。

しかし幸運なことには、追う村上には、日ごろの冴えがなかった。アンチジャンボには歯ぎしりしたくなるほど、この日の村上は不調だった。17番でポロリとボギーを出してしまう不甲斐なさである。追撃ムードに自ら水を差してしまった。それでも18番でバーディを出したが、時すでに遅く、尾崎に逃げられてしまった。

画像: バンカーショットやアプローチ、パットと小技で食い下がった村上

バンカーショットやアプローチ、パットと小技で食い下がった村上

村上というプレーヤー、派手ではないが、アプローチとパットの冴えには定評がある。ところがこの日はあわれなほど、その得意技が決まらない。12番、2メートル入らず、13番3メートルから3パット、14番3メートル入らず、そして尾崎大叩きの15番でも3メートルが入らずで、ことごとくチャンスを潰している。これでは村上に勝ち目はない。

尾崎は優勝賞金625万円の収入増でまたまた懐が豊かになり、そしてなにがなんでも獲りたかった日本オープンを遂にとり、お金では買えない名誉を手に入れた。

画像: 接戦となったが勝者はジャンボ尾崎。国内グランドスラム達成となった

接戦となったが勝者はジャンボ尾崎。国内グランドスラム達成となった

【1974年日本オープン最終結果】
セントラルGC/7136ヤード/パー73
1位 ‐13 尾崎将司(日東興業)
2位 ‐12 村上隆(パリス)
3位 ‐10 山本善隆(城陽)
4位 ‐9 イレネオ・レガスビ(フィリピン)
4位 ‐9 村上実(大阪ゴルフ専門学院)
6位 ‐8 青木功(日本電建)
6位 ‐8 T・ボール(豪州)
6位 ‐8 日吉定雄(成田国際)
9位 ‐6 杉原輝雄(ファーイースト)
9位 ‐6 安田春雄(マルマン)

セントラルゴルフクラブ
茨城県行方市麻生2196
TEL 0299‐72‐1155
東コース/7183ヤード/パー73
コースレート73.8/スロープレート134
西コース/7208ヤード/パー73
コースレート73.5/スロープレート131
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/ベントの2グリーン
設計/西野譲介
練習場/240ヤード/アプローチ、バンカーあり
会員権/預託金制で譲渡可
加盟連盟/JGA、KGA
開場/1974年
最寄りIC/東関東自動車道・大栄ICから約35分、潮来ICから約20分
最寄り駅/JR総武鹿島戦・佐原駅
公式ホームページはこちら

現在のセントラルゴルフクラブ

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画像: golfdigest-play.jp
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