昭和56年、垂水ゴルフ倶楽部は、創立30周年(戦後再開)に当たり、「前身の舞子カントリー倶楽部の創立大正9年から数えて60周年として祝う」と決めた。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

大正9年、「六甲だけでは冬のゴルフができない」として、明石郡垂水村の丘陵に9ホールのコースが生まれた。舞子→垂水の歴史の始まりだ。しかし舞子の歴史は12年で終わる。昭和に入って茨木CC、廣野GCなど本格派が登場。

画像: 4番ホール/165㍎/パー3 距離的に短くグリーンも大きめで、だれでもワンオンの可能性があるパー3。18ホールのなかでは最も攻めやすいホール

4番ホール/165㍎/パー3 距離的に短くグリーンも大きめで、だれでもワンオンの可能性があるパー3。18ホールのなかでは最も攻めやすいホール

舞子は、昭和7年7月解散、メンバーの大半は廣野に移った。コースは売却されて太平洋戦争突入までパブリックコースとなるが、昭和19年には、戦争激化で三菱重工の厚生農園に変身する。

戦後の復活は昭和26年まで遅れた。26年9月23日、芋畑となっていた舞子CC9ホールがゴルフ場として整備され、新たに垂水ゴルフ倶楽部として蘇った。昭和29年7月、18ホール、5955㍎、パー70に増設。短いが、小さいグリーンと深いバンカーで決して易しくはない。

画像: 2番ホール/170㍎/パー3 バンカー形状が鳴尾GCと似ているのは、設計が同じクレーン兄弟だからだろう

2番ホール/170㍎/パー3 バンカー形状が鳴尾GCと似ているのは、設計が同じクレーン兄弟だからだろう

距離は短いが小グリーンに深バンカーが難易度を上げる

設計はJ・E・クレーンだが、弟で名コース鳴尾ゴルフ倶楽部を造ったH・C・クレーンが無報酬で働いているから、人びとはそこに鳴尾のDNAを見るだろう。

代表例は15番(210㍎、パー3)だ。池越えの美しいホールだが、距離がある上にグリーンは砲台型で、さらに2個のガードバンカーががっちり。兄貴分の鳴尾15番も名物パー3だが、攻めて難しいのは、池とバンカーが二重の垂水15番だろう。

所在地は神戸市垂水区潮見が丘。第二神明道路高丸ICから1分。全国で唯一町のど真ん中にあるコースだ。12、13、14番そして16番は明石大橋に向かって打つ壮快なホールである。

垂水ゴルフ倶楽部
開場日:大正9年10月3日
コース:18H/5955Y/P70
設計:J・E・クレーン
兵庫県神戸市垂水区潮見が丘2-2-1
☎078-707-8802
公式サイトはこちら

取材・文/田野辺薫

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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