昭和3年頃、名古屋にはゴルフ場がなかった。中京の財界ゴルファーは、京都山科コースまで遠征した。「三大都市でゴルフ場がないのは、名古屋だけだ。中京の恥だ」と奮起して造ったのが和合コースだ。名古屋郊外約20㌔、東郷村大宇和合ドンドロ35番地の15万坪。元皇室御料林だった。
開場までには笑えない苦労が続いた。設計を依頼した大谷光明からは、用地が狭い、土が小石混じりの粘土質で芝は育ちそうもない、「ゴルフ場には不適だ」と烙印を押された。
それを熱意で拝み倒した。
礫質土の上に、陸軍砲兵隊の厩舎から分けてもらった馬糞を馬車1200台分を敷き詰め、その上に芝を植えるなど、難工事の末、昭和4年9月、18ホール・6063㍎・パー69の和合リンクスが開場した。
和合は短い。和合は狭い、グリーンが小さく、しかも砲台だと苦手にする。300㍎ドライブだけでは通用しない。それだけに和合はドラマが多い。
和合はデリケートな戦術が功を奏す
極端な打ち下ろしの397㍎の16番は1オンも可能、しかし、ジャック・ニクラスが来日した時は9も叩いている。
昭和64年の日本オープン最終日、池越え17番パー3。尾崎将司は、左バンカーから見えないホールカップへと見事チップイン、逆転優勝した。
小技か大技か、デリケート戦略が求められる。昭和35年から続く中日クラウンズは、歴史を誇る準メジャー。
初代優勝中村寅吉以下多くのヒーローを輩出、P・トムソン、G・ノーマンら世界の名手を紹介しながら、いまだ続く。
名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース
開場日:昭和4年9月15日
コース:18H/6557Y/P70
設計:大谷光明
愛知県愛知郡東郷町和合
☎052-801-1111
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)