ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
深川喜一は、東京ゴルフ倶楽部の会員だったが、(当時の)貴族中心の運営に懐疑的で、小金井では誰もが平等の権利をもつ株式会員制にした。開場時の株式額面500円、株主(会員)数は458名だった。
好事魔多しか。工事を始めて6カ月目の昭和12年7月7日、盧溝橋事件が発生。驚いた深川は、ゴルフを通じて親しかった近衛文麿公を通じて、参謀本部にお伺いを立てた。
返事は「事変は12月で終わる。ゴルフ場工事続行OK」だった。だが戦火は治まらず日中戦争に発展する。開場5年目の昭和17年にはキャディ廃止、日本ゴルフ協会解散、ボール配給打ち切り。
剥ぎとられた芝は横田の飛行場から取り戻し修復
仏文学者・辰野隆は、小金井に通うのにバッグを慮り、風呂敷にクラブを包んで通ったという。昭和19年7月には、インコースが陸軍経理学校に接収され藷畑となる。
フェアウェイの芝は剥ぎとられて横田の飛行場に持ち去られた。敗戦後それを取り戻してインを修復したと所属の輿水潔プロが語っていた。
20年6月、遂にコースに被弾。2番、5番、14番に爆弾が落ちた。近くの中島飛行機工場を狙った空襲
の誤爆だった。その後、陸軍照空隊、陸軍航空本部輸送隊も駐留、そして休場。間もなく終戦。
入れ代わって米軍が進駐、会員のプレー禁止、ロッカールーム立ち入りも厳禁された。「建物は全て白ペンキで塗りつぶされた」と復旧で働いた小林光昭(コース設計家)は語っている。
講和条約発効で接収解除は昭和27年5月。米軍との共同運営が2年。完全な自営は、昭和29年4月からだった。
小金井カントリー倶楽部
開場:昭和12年10月3日
コース:18H/6760Y/P72
設計:ウォルター・ヘーゲン
東京都小平市御幸町331
☎042-381-1221
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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