京都ゴルフ倶楽部上賀茂コースの設計者はシェフィールドとある。終戦直後京都に進駐していた米陸軍第一軍団軍政官シェフィールド大佐の名前である。昭和20〜21年、米占領軍の高級将校宿舎は上賀茂の植物園近くにあった。ヘリコプターでゴルフ場用地を探しているとすぐ近くに深い森林と池を発見。「ここに造ろう」となったその森は上賀茂神社の神森と京都大学演習林だった。

昭和21年11月15日起工式で、PD工事(占領軍発注工事)の伐採が始まった。工事費用2億7000万円、受注は鹿島組(鹿島建設)。

画像: 9番ホール/170㍎/パー3 池越えのパー3で、左グリーンにピンが立っているときには引っ掛けに注意。バンカーは大きく深いので避けたい

9番ホール/170㍎/パー3 池越えのパー3で、左グリーンにピンが立っているときには引っ掛けに注意。バンカーは大きく深いので避けたい

ところが吉田茂首相が「米兵の遊びにそんな大金は出せない」とマッカーサー元帥に抗議。計画は挫折。米軍も諦めない。

画像: 6番ホール/435㍎/パー4 やや左ドッグレッグ。右にはグリーン近くまでクリークがあり、ティから220㍎程で入る。第一打は左山裾狙い

6番ホール/435㍎/パー4 やや左ドッグレッグ。右にはグリーン近くまでクリークがあり、ティから220㍎程で入る。第一打は左山裾狙い

特にシェフィールド大佐は、コースのデザインまで描いて執念を燃やした。彼が目をつけたのは、関東で秩父、小金井、観音崎などを手がけて経験豊富な安達組(安達建設)の安達貞市だった。安達が提案した工事総予算は僅か3000万円だった。

上賀茂神社も占領軍には勝てない。貸与という形で神社の一部を提供、御神体の「神こうやま山」と葵祭の「御阿礼所(みあれどころ)」という神域を抱えた、類まれなゴルフ場が生まれることとなった。

会員権譲渡制という新機軸の募集を開始した

昭和23年1月15日、今でいう第3セクター方式で近畿観光設立(後に観光日本)、初代社長は京都府知事だった。3月4日工事再開。第一回会員募集を始めた。

入会金3万円、法人会員制、市場で売買する会員権譲渡制という新機軸の募集だった。現在の預託金制の先駆者である。7月30日、第一軍団の要請で、6ホールで開場。10月9ホール開場。

画像: 会員権譲渡制という新機軸の募集を開始した

昭和24年8月14日、ようやく18ホールが揃った。芝は、元飛行場の高麗芝を市松模様に貼り、ティマーク、ホールカップは手作り。

屑鉄がカネになる時代で、盗まれないようにホールカップは毎晩倉庫に回収したという笑えない話も残る。

兄弟コースの舟山コース開場は、遥か遅れて昭和37年1月2日であった。

京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース
開場日:昭和23年8月14日
コース:18H/5910Y/P69
設計:ハロルド・シェフィールド
京都府京都市北区上賀茂本山
☎075-791-2161
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