ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
元運輸次官の平山は、名古屋GC和合のクラブチャンピオンの経験もある名手。戦争で姿を消した
武蔵野CC理事でもあった。
内山神奈川県知事、金刺川崎市長に打診すると内山は、ゴルフ場を造れば占領軍との国際交友の場になる、と身を乗り出した。名称も川崎国際ゴルフ倶楽部と決まった。文字通り国際交友の場で、国際競技の場という意味ではなかった。
昭和24年11月24日には、川崎市を主体に経営母体の川崎林園株式会社(平山孝社長)が設立されたが、着工には手間取った。生田大緑地は、自作農創設特別措置法で百数十人の小作人に売り渡すことになっていた。
その処理で、GHQ、第8軍にまで頭を下げて回った。昭和26年4月9日川崎市と生田林園の間で10年の借地契約が成立、6月着工。設計は井上誠一、内地では戦後第1作である。
17年にわたる訴訟で、パグリック市民ゴルフ場に生まれ変わる
工事は700人の労働者を投入しての人海戦術で進められた。多摩丘陵の東端枡形山地の21万坪は、丘陵というより山に近く突兀(とっこつ)としていたが、完成したコースは自然の形を読み取りながらの戦略性、特に100㍎からの難易度の高さで評価を上げた。
昭和27年5月18日9ホール開場、昭和29年11月3日18ホール・6475㍎・パー72が完成。都心新宿から小田急で登戸まで20分“登戸”の愛称で親しまれる名門として繁栄した。
やがて都心化の波が迫る。住宅地の開発、向ヶ丘遊園などアミューズメントエリア、明治大、専修大など文教地区の進出で「市有地を占有していいのか」との声が高まってきた。
昭和42年川崎市は、3回目のゴルフ場継続使用の延長を拒否、17年にわたる訴訟となる。昭和59年7月裁判所の職権調停により和解、平成4年1月10日以来、パブリック市民ゴルフ場に生まれ変わった。
現在の経営は、財団法人川崎市公園緑地協会。コースは6490㍎から6225㍎になった。協会で測り直した結果で、短くやさしくしたわけではないし、小さいグリーンに深いバンカーという井上設計は残した、といっている。
川崎国際生田緑地ゴルフ場
神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-10
☎044-934-1555
開場日:昭和27年5月18 日
コース:18H/6225Y/P72
設計:井上誠一
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取材・文/田野辺薫
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