ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
毛利藩の歴史と伝統をまとったコース、「毛利の森」と呼ばれる
開場は昭和27年7月11日なので名門級の歳月とは言えない。しかし、山口県内では「山カン」と親しみをもって呼び、皆、名門と思い、誰もそれを疑わない。小さな山のコースだが、他の名門倶楽部とは違った、誕生の物語があるからだ。
戦後数年、旧華族たちは、華族制度の解体、農地改革、財産税の高率課税などで追い詰められていた。36万石の藩主毛利家も、東京高輪本邸を財産税で物納、防府の本邸も物納の危機にあった。
窮状を見た地元経済界が、毛利本邸の裏山に9ホールのゴルフ場を造り、その入場料収入で税金を納めることを提案。
こうして生まれた新山口カンツリー倶楽部防府コース(当時は山口カンツリー倶楽部)は、9ホール・2900㍎・パー35の小さなコースだった。設計は大洗GCを造ってまもない井上誠一だった。
いま、新山口カンツリー倶楽部の進入路を進むと正面は、毛利36万石本邸の正門である。同倶楽部のシンボルだ。
18番ホールとハウスの間には、毛利家祖霊社、毛利家絵画堂が並ぶ。開場当初のクラブハウスは、現在の毛利博物館の建物、その中の喫茶「舞衣」は、昔倶楽部のフロントだった。
敷地全域が「毛利の森」と呼ばれるように、毛利藩の歴史と伝統を身ぐるみまとったゴルフコースである。
毛利本邸の庭先の手造り9ホールは、ブラインドも多く短いが、3、4番の深くてクラシカルなアリソンバンカーは自慢。昭和50年に増設されたインコースは、やや長くややモダン。
初代理事長は、大洋漁業の中部利三郎。下関CCができるまでは、その子孫一次郎、銀次郎兄弟も「山カン」で腕を磨いた時期があった。
新山口カンツリー倶楽部
山口県防府市多々良1-15-1
☎0835-22‐2566
開場日:昭和27年7月11日
コース:18H/6081Y/P70
設計:井上誠一
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
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