ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
毛利藩の歴史と伝統をまとったコース、「毛利の森」と呼ばれる
開場は昭和27年7月11日なので名門級の歳月とは言えない。しかし、山口県内では「山カン」と親しみをもって呼び、皆、名門と思い、誰もそれを疑わない。小さな山のコースだが、他の名門倶楽部とは違った、誕生の物語があるからだ。
![画像: 6番ホール/161㍎/パー3 毛利家の裏山に造られただけに、各ホールとも狭く感じるが、景観は雄大で瀬戸内海を眺望できるホールが多い](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/03/af091caefb7fff85aa510580776fb23281afaee9_xlarge.jpg)
6番ホール/161㍎/パー3 毛利家の裏山に造られただけに、各ホールとも狭く感じるが、景観は雄大で瀬戸内海を眺望できるホールが多い
戦後数年、旧華族たちは、華族制度の解体、農地改革、財産税の高率課税などで追い詰められていた。36万石の藩主毛利家も、東京高輪本邸を財産税で物納、防府の本邸も物納の危機にあった。
窮状を見た地元経済界が、毛利本邸の裏山に9ホールのゴルフ場を造り、その入場料収入で税金を納めることを提案。
![画像: 4番ホール/293㍎/パー4距離は短いが、グリーンは砲台状のためバンカーは深い。手造りコースらしい複雑なライが技量を問う](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/29/85254876186afc02165a7ee8343620658202a13b_xlarge.jpg)
4番ホール/293㍎/パー4距離は短いが、グリーンは砲台状のためバンカーは深い。手造りコースらしい複雑なライが技量を問う
こうして生まれた新山口カンツリー倶楽部防府コース(当時は山口カンツリー倶楽部)は、9ホール・2900㍎・パー35の小さなコースだった。設計は大洗GCを造ってまもない井上誠一だった。
いま、新山口カンツリー倶楽部の進入路を進むと正面は、毛利36万石本邸の正門である。同倶楽部のシンボルだ。
18番ホールとハウスの間には、毛利家祖霊社、毛利家絵画堂が並ぶ。開場当初のクラブハウスは、現在の毛利博物館の建物、その中の喫茶「舞衣」は、昔倶楽部のフロントだった。
敷地全域が「毛利の森」と呼ばれるように、毛利藩の歴史と伝統を身ぐるみまとったゴルフコースである。
![画像: 8番ホール/387㍎/パー4 強烈な打ち下ろしホール。防府市が一望出来気分は最高](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/29/8a4effdd70488de3354a09c6e24331f80efb4114_xlarge.jpg)
8番ホール/387㍎/パー4 強烈な打ち下ろしホール。防府市が一望出来気分は最高
![画像: 17番ホール/445ヤード/パー5 ティグランドからの眺めは絶景だが左右にOB。街中の煙突の向きで風を参考に](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/29/def619f331124e0c139be483d9db937636cabcb4_xlarge.jpg)
17番ホール/445ヤード/パー5 ティグランドからの眺めは絶景だが左右にOB。街中の煙突の向きで風を参考に
毛利本邸の庭先の手造り9ホールは、ブラインドも多く短いが、3、4番の深くてクラシカルなアリソンバンカーは自慢。昭和50年に増設されたインコースは、やや長くややモダン。
![画像: 毛利邸、庭園内の建物](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/03/3ed335840a3315318147e7ce81f8cdc4e2758cd5_xlarge.jpg)
毛利邸、庭園内の建物
![画像: コースのレストラン兼フロントとして使われていた喫茶「舞衣」](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/03/3d8fd37a861b8fc2c422f72798b95af167a5657d_xlarge.jpg)
コースのレストラン兼フロントとして使われていた喫茶「舞衣」
初代理事長は、大洋漁業の中部利三郎。下関CCができるまでは、その子孫一次郎、銀次郎兄弟も「山カン」で腕を磨いた時期があった。
![画像: 現在のクラブハウス](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2018/10/03/3d41a70c233318e3b3b0bcfcde2b0d4dcef1b347_xlarge.jpg)
現在のクラブハウス
新山口カンツリー倶楽部
山口県防府市多々良1-15-1
☎0835-22‐2566
開場日:昭和27年7月11日
コース:18H/6081Y/P70
設計:井上誠一
公式ホームページはこちら
取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
気になるコースの会員権相場はこちら↓
![画像: golfdigest-play.jp](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783386/rc/2019/06/08/78a957f95f56af48bc8adc084d8e1d29748c6e15.png)