横須賀の先へ、海岸通りをさらに行くと観音崎灯台があり、その裏手30万坪が腰越砲台など9つの米軍施設を持つ小原台地域だった。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

昭和23年9月、米軍は「小原台地域を近く接収解除する。観光開発されたい」と通告してきた。横須賀市長の要請で、戦前からゴルフ場建設に明るい安達建設が昭和24年3月、小原台ゴルフ場を着工する。

ところがアウトコース造成が終わった段階で、地元農民の反対、横須賀市の離脱、朝鮮動乱の勃発、講和条約、日米安保条約発効と問題が相次ぐ。決定的だったのは、保安庁(現、防衛省)から保安大学(防衛大学校)用地として全域接収の通告を受けたことだ。昭和29年完全撤退。代替として茅ヶ崎菱沼海岸の県有地を借地提供された。

画像: 6番ホール/350㍎/パー4 コースはほぼ平坦だが微妙なアンジュレーションがあり、グリーンをガードする大きくて深いバンカーに入れてしまうと脱出は難しい

6番ホール/350㍎/パー4 コースはほぼ平坦だが微妙なアンジュレーションがあり、グリーンをガードする大きくて深いバンカーに入れてしまうと脱出は難しい

英国憧憬の強い上田治が作った、バンカーデザインが特徴

提供された県有地は、茅ヶ崎市側と藤沢市側に半分割され、結果としてゴルフ場計画は9ホールとなった。コース用地は、相模湾を見遙かす砂防林で、樹齢10年(当時)の赤松が点在する平坦な砂地だった。設計は、即決で上田治に決まった。

上田は前年、福岡県下玄海灘沿いのシーサイド「古賀ゴルフ・クラブ」の増設、改造設計に成功していて、その経験を買われたのである。

画像: 5番ホール/420㍎/パー4 バンカーが巧みに配され精度の高いショットが求められる

5番ホール/420㍎/パー4 バンカーが巧みに配され精度の高いショットが求められる

当時は、海浜の砂地に芝を根付かせるのが問題だった。上田は「古賀GC」では、農学博士・丸毛信勝の助言によるオール芝の18ホール改造に成功していた。「茅ヶ崎GC」では、上田治の建設仕様をそのまま採用した。昭和31年9月着工、32年春完工、32年11月17日開場した。9ホール・3025㍎・パー35。

画像: 2番ホール/150ヤード/パー3 大きく丈のあるバンカーが上田治の特徴

2番ホール/150ヤード/パー3 大きく丈のあるバンカーが上田治の特徴

上田治は、昭和11年ベルリンオリンピックに水泳選手団コーチとして参加した帰途、英国に渡り設計を学び、「廣野GC」ではC・H・アリソンを目の辺りにしていた。

英国憧憬の強い上田は、シーサイド茅ヶ崎をことのほか気に入ってしばしば踏査したという。その成果は、人の背を没するほどの深さと200平方㍍近い広さを持ったバンカーデザインとして生きている。

茅ヶ崎ゴルフ倶楽部
神奈川県茅ヶ崎市菱沼海岸9-38☎0467-82-4141
開場日:昭和32年11月17日
コース:9H/3025Y/P35
設計:上田治
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取材・文/田野辺薫

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