ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
伴道義は、大正元年11月、栃木県塩谷郡栗山村湯西川に生まれる。当時は温泉宿が3軒だけ、平家の隠れ里といわれていた。その一軒、伴久旅館が生家。旅館のほか日光寺社領のある旧栗山村の御三家といわれる名家。
ところが道義が当主となって4年目、22歳の時に伴久旅館は不審火で焼失。旅館は再建されたが、資金に窮した道義は満州へ出奔する。そして、終戦。
東京へ引き揚げた道義は、根津千駄木で、不動産、金融会社「日光本店」を創業。
彼の素人金融は大繁盛。もう一段上の認可金融業を狙った道義は、経営危機に陥っていた宏和信用組合を、救済を条件に継承、「東京昼夜信用組合」と改称、発足する。
次に彼が動いたのは、若くして捨てた故郷鬼怒川温泉の開発事業だった。東武鉄道と提携した鬼怒川ロープウェイ架設、鬼怒川ライン下り、鶏頂山スキー場、そして鬼怒川河川敷のゴルフ場などが続く。
昭和33年12月、「㈱鬼怒川温泉ゴルフ倶楽部」設立、資本金500万円、社長伴道義。
設計は、伴社長の直訴で、カナダ杯優勝で人気の中村寅吉プロ。発知朗、藤井正五プロが協力して、昭和34年8月7日アウト9ホールをオープン。
那須GC、日光CCに次ぐ栃木県下3番目のコース。不運は、同年11月の台風による洪水で、仮開場間もない9ホールを流失したことだ。
昭和36年8月、18ホール・6710㍎・パー72が開場。昭和37年8月、温泉コース9ホールを増設。山河川のリバーサイドコースは戦略性も高く、川の中に島状のティーングエリアを置く(伴社長提案)など新鮮さもあり好評だったが、月1万円分割払いの会員権募集が不振で経営の足を引っ張った。
東京昼夜信用組合からの融資を返却できなくなり信用組合は業務停止、伴社長は事業の表面から去る。しかし風雲児、伴道義が起こした鬼怒川ロープウェイ、鬼怒川ライン下りは今も観光スポットとして地域を潤している。
鬼怒川カントリークラブ
栃木県日光市高徳62 ☎0288-21-8111
開場日:昭和34年8月7日
コース:9H/3314Y/P36(鬼怒)
9H/3260Y/P36(大谷)
設計:中村寅吉
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取材・文/田野辺薫
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)