ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
昭和32年6月、約80名の地主たちに対し、平和相互銀行立川支店で、買収金額が一斉に支払われ、地元では評判になった。うわさの経営者は、平和相互銀行を創業した小宮山常吉、元参議院議員だった。「政治よりも、もっと大衆の傍にある事業を」と始めたのがゴルフ場だった。
「武蔵野ゴルフクラブ」を契機に、中山CC 、川越CC 、総武CC 、そして遂には「環太平洋に100コース」を唱えて登場した太平洋クラブまで、総武都市開発グループは、ゴルフ場専業大手のひとつに発展していった。武蔵野GCはその長男坊であった。
開場2年後、丸毛信勝から富澤誠造にバトントスし大改造へ
昭和34年6月着工。コース設計は、当時人気の丸毛信勝農学博士。起伏というより小さい谷の多い地で、熊谷組の大型ブルドーザーを動かして100万立方メートルの土量を動かしたが、石ころの多い関東ローム層で芝付きが芳しくない中、昭和35年11月に開場。
開場式の日、設計者の丸毛信勝は、長靴を履いていたと記録にある。雨が降れば忽ち田圃になると、今後、悪評が集まる。それを心配した小宮山は、金融事情視察で出かけた欧米で、ゴルフ場も視察、研究した。帰国後の昭和37年から、設計者を富澤誠造に代えて大改造に着手した。
5月から3カ月間、18ホールをクローズして、フェアウェイをならし、砲台グリーンをフラットにしてシニアやレディスも楽に回れるようにコースを一新した(ちなみにその年、小宮山は80歳だった)。
総工費1億5000万円。平坦な土地なら18ホール造れる出費だったが、追徴金なしで実行、10月15 日再開場した。武蔵野GCにとって2度目の誕生日となった。
武蔵野ゴルフクラブ
東京都八王子市宮下町656 ☎042・691・2111
開場日:昭和35年11月23日
コース:18H/6580Y/P72
設計:丸毛信勝、富澤誠造(改造設計)
公式ホームページ
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