ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。
創業の人、森澤寿夫は大正13年1月1日生まれ、生粋の盛岡人である。若い頃から野球、スキーに熱中、ゴルフも戦後3年目24歳から始めたというから、東北盛岡ではトップゴルファーのひとりだったか。
昭和24年「腹が満ちたらスポーツの時代だ」と、盛岡にモリサワスポーツを開店。10年後には、スキー板製造のミタケスキーを設立する。この間ゴルフは、ハンディキャップ5まで上達した。その先に見えてきたのが「国際的トーナメントに通用する本格コース」を岩手県内に造る計画だった。
そのタイミングで、森澤はスポーツ用品ダンロップの北海道・東北担当の大西良久とめぐり逢う。彼は、ゴルフ競技TV解説、コース設計で活躍中の大西久光の実弟だった。大西良久は、森澤の娘、幹子と結婚、森澤良久となった。
ニュージーランドのような広大な土地に27H
ゴルフ場建設の話は、結婚披露宴の席上でさらに進む。日本のプロ競技に参戦中だったピーター・トムソン(全英オープン5回優勝)に、実兄の大西久光から打診。1週間後には建設予定地42万坪を買収。
オーストラリア出身のトムソンは、岩手山麓の広大な牧草地を抱く自然の起伏と樹木の豊かさに目を奪われ「まるでニュージーランドのようだ」と感嘆。
昭和47年5月資本金8000万円で南部富士観光開発㈱設立。昭和49年4月22日、最初の18ホールを開場。初代理事長に石原慎太郎を選任。翌50年9ホールを増設、27ホールとなる。
昭和50年「日豪対抗」、個人優勝スチュワート・ジン(71)、団体豪州583対日本596。昭和53年「三菱ギャラン」、中村通8アンダー。昭和58年、中島常幸10アンダー、平成4年、青木功11アンダーでそれぞれ優勝。
南部富士カントリークラブ
岩手県八幡平市大更47-34-2
☎0195-76-3151
開場日:昭和49年4月23日
コース:9H/3169Y/P36(岩手山)
9H/3182Y/P36(姫神山)
9H/2895Y/P36(北上川)
設計:ピーター・トムソン
公式ホームページ
美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)
取材・文/田野辺薫
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