昭和4年、室蘭湾イタンキ浜にゴルフコースを造る計画で、イタンキゴルフクラブを設立。そのメンバーに海軍機関中将・水谷叔彦と日本製鋼所取締役・一色虎児がいた。水谷は明治29年に英国の海軍大学に留学中、ゴルフに親しみ、日本人ゴルファー第一号と呼ばれる人物、一色は大正5年に日本人として初めて日本アマ選手権(当時は在日英国人ばかりで行われていた)に参加。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

一年後の昭和5年5月、イタンキ浜の市有地20万坪を借り、3027㍎・パー36の9ホールが実現する。波飛沫を直にかぶるイタンキ浜コースは、屠場もある牧場で、放牧の牛から守るためにグリーンは針金囲い、バンカーはすべて天然の風穴、1番ホールは断崖上から真下のグリーンへ打ち下ろす豪快なコースだった。

設計は、日本製鋼所の萩原英一。素人だったが、霞ヶ関CCの赤星四郎、藤田欽哉、井上誠一に教えを請い、開場した“イタンキ”は、日本一のシーサイドコースだと評価が上がった。昭和6年、室蘭ゴルフ倶楽部と改称。

イタンキ浜から現在の場所へ

それから10余年。昭和16年12月に開戦、軍はクラブハウスを接収、イタンキ浜には陣地が敷かれた。

20年8月15日終戦。軍が去った後には砲台とタコツボと塹壕と2、3番グリーンと8番フェアウェイだけが残った。

戦後、再建は昭和29年、テンポラリーグリーンの9ホールで再開場。昭和32年9月、元競馬場跡に2万坪を借地し、18ホールを完成。しかし、復活も束の間、昭和36年の急速な工業都市化で、室蘭市がコース移転を要請、等価交換で現在地に移転した。

標高140㍍、白鳥の飛来する室蘭湾を一望する丘陵地で、白鳥コースと命名された。昭和40年8月、35年続いたイタンキコースが閉場。

三日後、白鳥コースのアウト9ホールが仮開場。41年4月に18ホール・6819㍎・パー72が揃った。設計は井上誠一、現場ではイタンキを35年間管理して芝に詳しい萩原英一が活躍した。

画像: 9番ホール/401㍎/パー4 フェアウェイは右から左に傾斜しており、1打目は右寄りがベスト。グリーンは奥から順目で受けているため、オーバーは禁物

9番ホール/401㍎/パー4 フェアウェイは右から左に傾斜しており、1打目は右寄りがベスト。グリーンは奥から順目で受けているため、オーバーは禁物

画像: 7番ホール/354㍎/パー4 距離の短いサービスホール。奥行きのない小さいグリーンは、奥から順目で速い

7番ホール/354㍎/パー4 距離の短いサービスホール。奥行きのない小さいグリーンは、奥から順目で速い

画像: 8番ホール/439㍎/パー4 距離の長い2打目はグリーン左手前のバンカーを避け、花道から攻めていきたい

8番ホール/439㍎/パー4 距離の長い2打目はグリーン左手前のバンカーを避け、花道から攻めていきたい

画像: 井上誠一による8番ホールのスケッチ

井上誠一による8番ホールのスケッチ

画像: 15番ホール/401㍎/パー4 グリーンまで見上げる打ち下ろし。200㍎先にある右側のバンカーを避けて攻めたい

15番ホール/401㍎/パー4 グリーンまで見上げる打ち下ろし。200㍎先にある右側のバンカーを避けて攻めたい

画像: 18番ホール/401㍎/パー4 フェアウェイが右から左に傾斜。ティショットは右目に打っていくのがいい

18番ホール/401㍎/パー4 フェアウェイが右から左に傾斜。ティショットは右目に打っていくのがいい

室蘭ゴルフ倶楽部白鳥コース
北海道室蘭市崎守町293-1 ☎0143-59-4641
開場日:昭和5年5月(イタンキコース)
    昭和40年9月3日(白鳥コース)
コース:18H/6825Y/P72
設計:井上誠一(設計) 萩原英一(詳細デザイン)
公式ホームページ

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

取材・文/田野辺薫

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