「長かったなァ、道中が…」。ホールアウト後の青木功の第一声がこれである。続く言葉も「ああ、くたびれた」。とてもその姿はトーナメントの優勝者とは思えない、まるで敗残兵のようだった。しかし、これほどまでに青木を苦しめたのは、川田時志春でも、泉川ピートでもなく、安田春雄でもなかった。最大の敵はコースだった。「これ以上ないと思うぐらいいじめられたよ」。青木の言葉は、そのまま全選手の偽らざる心境だろう。岡部チサン美里コースは距離が長く、適度なうねりを持つ林間コースである。

【ゴルフコースの評価基準】
ゴルフコースを評価する「7つ」の項目がある。①ショットバリュー、②難易度、③デザイン・バランス、④ホールの印象、⑤景観の美しさ、⑥コンディション、⑦伝統・雰囲気。この7項目は米国ゴルフダイジェスト、ゴルフマガジンが発表するランキングの評価基準にもなっている。当コラム【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】は、このコースでどのような「歴史」が作られ、「公式競技」を開催したかを掘り起こすことで、「伝統と雰囲気」をみるものです。

青木は、逃げようとするツキを必死につかまえた

関東ゴルフ連盟がこの関東オープン開催のため指示した内容は、フェアウェイ幅が25メートル、セミラフが5センチ、ラフを10センチに、というもの。そして、コーライのグリーンは長さ3.5ミリにカット。

現実には、10センチの予定のラフが夏の雨と涼しさのため刈り込めず、伸ばし放題といった有様で、優に20センチは超えていただろう。

ほとんどのボールは小さな砲台グリーンで、ラフからのショットではグリーン上には止まらない。

それでも初日、2日目と1アンダーのトータル2アンダーで青木は回った。この時点で川田時志春と並んでトップに立った。

画像: 3日目は大雨の中のゴルフとなった

3日目は大雨の中のゴルフとなった

3日目。11月中旬並みの低温と豪雨。フェアウェイには小川のように水が流れ、ドロップする場所すらない。グリーンもほとんど水びたしで、ローラーで水を押し流した直後でなければとても満足なパットは打てない状態だった。

アンダーパーは望めない。自分のスコアのプラスを増やさないようにするだけで精一杯。まさに「我慢くらべ」だ。

我慢に我慢を重ねるゴルフ。バーディを獲るための我慢ではなく、ボギーにしないための我慢。

いくら我慢強い青木でも、こんな我慢が長続きするものではない。悄然とした姿でクラブハウスに戻ってきた時は、マイナスの文字がプラスに変わっていた。それでも他の選手のスコアも伸びずに首位をキープ。

最終日は好天になったが、まだ青木は本来の粘り強いゴルフには戻れない。

画像: 我慢に我慢を重ねるゴルフが続く

我慢に我慢を重ねるゴルフが続く

1番の2.5メートルがカップを一回転して出てしまう。

「カップのフチが崩れていたんで入らなかった。あれが入っていればアンダーで優勝できたんだが…」というように、このパットが青木のリズムをも崩してしまった。

2番、3番と打ち切れないパットが続く。

松林の近くまで打ち込んだ5番、勝負の「運」は青木から離れようとしはじめた。

グリーン左のラフからのアプローチが5メートルもオーバーする。

「あんなに転がるとは思わなかった。ボールを止めようとすると転がるし、転がそうとすると止まっちゃうよ」

得意のアプローチのミスが3パットを誘い、ダブルボギーで川田とトップを交代。川田2オーバー、青木3オーバー。並みの選手では、ここで完全に勝利の女神にソッポを向かれてしまうところ。

画像: 止めに行けば転がり、転がると思えば止まる、岡部チサンのコーライグリーンに手を焼いた

止めに行けば転がり、転がると思えば止まる、岡部チサンのコーライグリーンに手を焼いた

画像: 一時はトップに立った川田時志春

一時はトップに立った川田時志春

青木は次の6番で4メートルをねじ込みバーディを奪う。7番でボギーを出すと、すぐ8番でバーディ。

「出入りの多いゴルフになっちゃったよ」

苦笑いしながら言った言葉には、逃げようとするツキを必死でつかまえようとした気持ちがにじんでいる。

「グリーンに直接落とせばオーバーするし、手前からはラフに喰われて乗らない。どうにもならない」という13番のボギーで、11番のバーディも帳消しになる。

17番の3メートルのスライスラインを入れて、やっと2位に2打差をつける。

画像: 17番、スライスラインを決めてバーディ

17番、スライスラインを決めてバーディ

それにしても他の選手は何をしているのか。同じ組の川田はインで崩れ、必死に追いかけた安田も17番、18番で連続ボギー。

わずかに新人、泉川ピートがギャラリーを湧かせただけだった。

カゼ気味で「体の具合いでいいところはないよ」といってスタートした青木。最終日73とオーバーパーでも追いつくものはいなかった。

「USオープンをやっているような気がしたよ」

青木の口からコースの厳しさを語る言葉は出てきても、勝負の苦しさ は一言も出てこなかった。

画像1: 青木は、逃げようとするツキを必死につかまえた

1980年関東オープン最終結果
岡部チサン美里コース/6378メートル/パー72
1位+2  青木功(日本電建)
2位+3  泉川ピート(朝霧)
     矢部昭(東名川崎)
4位+4  安田春雄(誠和グループ)
5位+5  草壁政治(紫)
     藤間達雄(沼津)
7位+6  金海成雄(海栄海運)  
     川田時志春(川越)
9位+7  海老原清治(畔蒜不動産)
10位+8  金井清一(ダイワ精工)

岡部チサンカントリークラブ
埼玉県深谷市山崎600
TEL 048‐585‐2411
コースタイプ/丘陵コース
グリーン/(岡部)ベントとコーライの2グリーン
(美里)ベントの2グリーン
36ホール/(岡部)6415ヤード/パー72
コースレート69.4/スロープレート123
(美里)7084ヤード/パー72
コースレート73.0/スロープレート133
会員権/預託金制で譲渡可
設計/(岡部)久米建築設計事務所、(美里)春日井薫
開場/(岡部)1960年、(美里)1963年
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画像2: 青木は、逃げようとするツキを必死につかまえた

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