明治11年、米国帰りの青年山口仙之助は、箱根宮ノ下に外国人専用の富士屋ホテルを創立した。天正年間小田原征伐の豊臣太閤も泊まったという藤屋旅館を買収したところからはじまる。

ゴルフコースことはじめ
文芸評論家を経て、ゴルフジャーナリストとしても活躍した田野辺薫氏。ゴルフコースの目利きとして全国のコースを取材し、週刊ゴルフダイジェストで「ゴルフの歴史を歩こう」を連載(2005~2013年)。それを一冊にまとめた「美しい日本のゴルフコース」から多くの人に名コース誕生の歴史を知ってもらおうと再編集公開しています。

大正6年、箱根振興のためのゴルフ場を計画、駒沢コースを設計したF・E・コルチェスターの設計で着工。神奈川県からも3000円補助金が出た。

画像: 17番ホール/404㍎/パー4 フェアウェイは広く豪快に攻めていける。2打は左足上がりのライになる

17番ホール/404㍎/パー4 フェアウェイは広く豪快に攻めていける。2打は左足上がりのライになる

7ホール完成時に、折から宮ノ下御用邸に滞在中の皇太子(昭和天皇)が毎週プレーに来場。それ以来、昭和天皇との縁が深い。12月9ホール完成、開場。日本で7番目のコースだ。

大正7年、会員制の箱根ゴルフ及び狩猟倶楽部を設立。その規約には「本倶楽部は御大禮記念事業として設立す」とあるが、2年後、富士屋ホテルに委譲。昭和10年8月、18ホール・6320㍎に拡大。

画像: 3番ホール/188㍎/パー3 グリーン左手前には池があることから引っ掛けると致命的。右サイドの樹木の圧迫も大きい

3番ホール/188㍎/パー3 グリーン左手前には池があることから引っ掛けると致命的。右サイドの樹木の圧迫も大きい

ヒットラーユーゲントの訓練のため独逸協会に貸与

昭和19年頃、クラブハウスを、ヒットラーユーゲントの訓練のため独逸協会に貸与していたことは、あまり知られていない。戦時中は13、14番ホールは開墾され、その他はグライダー練習に使われたりしたが、大部分は残った。

昭和20年8月終戦。10月24日、施設を米軍が接収。この間、マッカーサー元帥夫人、アイゼンハワー元帥、ドッジ経済顧問夫妻らも来場。

昭和25年の朝鮮動乱では、在韓米国人が多数避難、ゴルフハウスに収容された。米軍接収は6年5カ月続き、昭和27年2月末日講和条約締結でようやく解除され、パブリックで営業を開始した。

富士屋ホテル 仙石ゴルフコース
開場日:大正6年7月
コース:18H/6651Y/P72
設計:F・E・コルチェスター(拡張設計:赤星四郎)
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1237 ☎0460-84-8511
公式サイトはこちら

取材・文/田野辺薫

美しい日本のゴルフコースより(弊社刊)

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